2005年 06月 26日
信じるチカラ |
信じる事が力になる、と信じていた。それは今も信じてる。
信じるのに力が要る、のだと今日唐突に気付いた。信じる力。これが足りないと信じられない。
信じるにはそれなりに根拠がある事が多い。根拠がしっかりしていれば信じるために力はそんなに要らない。根拠が希薄でも信じるには余計に力が要る。
この「力」の保有量には個人差があるらしい。別の力「知力」によって根拠を強化する事で「信じる力」の必要量を減らす事はできる。等価的に「信じる力」を強化できる。
根拠がいくらあっても裏付けはない。確認された「事実」は「信じる」必要がない。事実であると確認できていないから信じなければならない。そして、それ故、信じた結果「裏切られる」事もある。裏切られると「信じる力」は減退するらしい。
この力を古人は「信心」と呼んだ。これは気の持ちようではなく量的な能力値であったのだ。
と。唐突に気付いてしまったら、今まで解らなかった事が少し解った。でも何の解決にもならなかった。苦情がひとつ同情に、失望がひとつ絶望に近づいただけ。
未来の日記にトラックバック「夢を信じる力」
信じるのに力が要る、のだと今日唐突に気付いた。信じる力。これが足りないと信じられない。
信じるにはそれなりに根拠がある事が多い。根拠がしっかりしていれば信じるために力はそんなに要らない。根拠が希薄でも信じるには余計に力が要る。
この「力」の保有量には個人差があるらしい。別の力「知力」によって根拠を強化する事で「信じる力」の必要量を減らす事はできる。等価的に「信じる力」を強化できる。
根拠がいくらあっても裏付けはない。確認された「事実」は「信じる」必要がない。事実であると確認できていないから信じなければならない。そして、それ故、信じた結果「裏切られる」事もある。裏切られると「信じる力」は減退するらしい。
この力を古人は「信心」と呼んだ。これは気の持ちようではなく量的な能力値であったのだ。
と。唐突に気付いてしまったら、今まで解らなかった事が少し解った。でも何の解決にもならなかった。苦情がひとつ同情に、失望がひとつ絶望に近づいただけ。
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by afternaito
| 2005-06-26 23:18
| 生活
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